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学習会記録(第188回)


日時:2011年11月17日(木)
出席者:14名
内容:「歴史系博物館における図書館活用の現状と課題 〜京都文化博物館における事例をもとに〜」
発表者:南 博史(京都外国語大学教授、京都文化博物館嘱託)

◎はじめに
■自己紹介
 京都文化博物館(以下、ぶんぱく)開館以来、23年間学芸員としての勤務を経て、今年の4月から京都外国語大学へうつった。ぶんぱくでの最後の10年は、ぶんぱく界隈を中心に、京のまちなかの小中学校、伝統産業やまちづくりの方々などとの外部(地域)連携に携わり、辞める前の1年間は、学習普及・外部連携室のとりまとめていた。
 一昨年、京都国立博物館、国立近代美術館、京都市美術館、そして、ぶんぱくによる4館連携活動が始まった。活動の枠組みは、大きく総務部門と学芸員部門からなり、自分が参加していた学芸員部門では、共同事業の開催や相互合流などがテーマになった。あわせて博物館をめぐる現状、連携に対する当面の課題については、4館とも同じところを向いているところもあると感じた。この連携活動のきっかけはトップダウンによるものだったが、始まってみると学芸同士の意見交換も今までそういう場がなかったこともあって大変有意義だったと思う。とりあえず初年は連携講座の開催と共同チラシの製作ではあったが、具体的な連携活動も思ったよりスムーズに始まり、トップダウンも良いきっかけだった。
 この4館連携の具体的な活動を検討していく中で、博物館と図書館との連携が話題となり、昨年図書館の方々と情報交換を行った。今日の発表もそれがご縁となったものである。
 この情報交換を通して、個人的には、図書館では既に博物館的な展示・企画を行っているというイメージを持った。具体的な事例では、施設が近接する府立図書館と近美、市美は特別展に合わせてお互いに連携した企画を行っていたことなどがある。
 一方、ぶんぱくでは自前の一般公開する図書室を持っていたこと、まちなかの商業地という立地もあり、他施設間と比べると図書館との連携は全くなかったと言っていい。強いて活動といえば展覧会に関連した図書を陳列する程度で、自前の図書を有効利用すら十分できていないことにも気がついていた。
■今日の発表の概要
1)京都文化博物館における図書室活用についての経緯と現状を振り返りながら、学芸員の立場からその問題点を抽出し、博物館、特に歴史系博物館と図書館との連携に向けて解決しなければならない相互の課題について確認するとともに新しい展開を探る。
2)それぞれの地域活動に向けた新しいミュージアム活動を模索するという面からの博物館との連携について。
3)特に地域に開かれた大学の施設として大学博物館・図書館連携の今後の可能性。

◎京都文化博物館のあゆみ
■1988年10月1日開館 
 当時としては新しい考え方である「京都文化に関する実物資料ではなく情報を発信する」というコンセプトを掲げた。
■経緯と背景:1981年10月林田知事への答申 京都文化懇談会(座長・岡本道雄京都大学名誉教授)
 答申の中で「京都に多くの文化施設はあるが、文化全体を総合的に紹介したものは少ない。京都の文化歴史を通覧できる資料・情報を収集、提供できる施設をつくる。」を受けて、
 「京都の文化は日本の文化―新たな創造発展をめざして」という指針ができた。
■基本構想
 @京都の歴史の紹介 A京都の美術・工芸の紹介 B映像文化の集積 C文化情報の収集・提供 D文化創造センター ← その後消えてしまっている
■活動
 小学校高学年〜中学生が平易に理解できるものを想定。
 文化・学術の情報センターとしての機能を担うものであること。
 都心の施設として展示・情報機能を中心に考え、本格的な収蔵庫は持たない。
■文化博物館の役割
 情報・図書館資料室(コンピューターを備えた歴史・美術映像関係の図書資料室)。
■具体的な事業展開
 @歴史展示館 A美術工芸部門 B映像部門 C文化情報部門と、四つの柱がある。 
 文化情報部門:館内案内情報にとどまらず、京都文化に関する多様な情報収集を行い、来館利用者、専門研究者、館外利用者への提供に努めていくこととし、将来的には他の類似施設との情報ネットワーク化も指向するなど、情報文化センターとしての機能充実を目指す。
 現在、弱い部門であり、今後の課題となっている。
■基本計画(1985年)
 日本文化の中核をなす京都の美術・工芸や歴史などを総合的に紹介し、継承・発展させていく文化活動の拠点。
■施設部門
 @展示 A学習 B研究部門(研究室、図書室、収蔵庫) C普及
 研究部門の中に図書室を入れたのが当時のスタンス。その後、施設部門に落とし込んだときに、明確な位置付けを得られていないという印象を持った。
■開館後の動き(資料閲覧室関係を含む)
 開館時間が10:00-20:30と、当時としては珍しく夜間開館をする博物館として注目を集めた。当時、他の博物館は16:30閉館が普通だった。この時間設定は、昔の博物館では自然光照明に頼っていたいことが理由であったが、照明が普及してからもなぜかこの時間のみが残っていた。
 まちなかの三条高倉という立地条件から、サラリーマンやまちなかに宿泊する修学旅行生など、通常展覧会に足を運びにくかった多くの人に来館してもらうという利便性も配慮して、休館日が第三水曜の月1回、年末年始も12/28-1/1と少ない点も画期的だった。
■図書閲覧室
 単行本約5万冊、逐次刊行物約1000タイトル(約4万冊)。
 財団法人古代学協会付設の研究機関「平安博物館」が母体となったため、人文系にかなり偏りがある。
 内訳:発掘調査報告書17000冊(大学が持ってないような資料を大量に含む)、展覧会図録6500冊、映画シナリオ12000冊、伊藤大輔、森一生、萩昌弘氏などの蔵書を文庫化して一括管理。一般の来館者に開架閲覧と、司書によるレファレンス・サービスを行う。貸出はしていなかった。
 ビデオライブラリー:日本映画の代表的なものや、京都の古典芸能に関するもの。10箇所ぐらいのブースがあった。
 入場無料、開館時間・期間も長いため、利用者は多かった。
 現在:単行本75698冊、邦画が多く占める。
     逐次刊行物3054タイトル(72714冊)。寄贈されてくるため、発掘調査報告書が多い。
■文化情報コーナー
 京都で開催される歴史、美術工芸の展覧会や映画の上映、お祭、伝統芸能といった情報をチラシ、ポスターなどの印刷物とコンピューター端末を使った情報検索で来館者に提供。
 その後「情報コーナー」になり、ポスター掲示、チラシ、DM置場となる。
■1990年5月以降 
 特別展示室午後6時閉室へ。当初、20:30閉室だったが、閉館時間近くになるとさすがに入室者が少なく、費用対効果の検討のうえ変更。
■1995年4月1日 
 資料閲覧室を「休室」、一般公開を中止。学芸員間で議論となった。これによって常設展示を補完する活動がなくなるからである。ぶんぱくの歴史常設展示室は、本物を置かず解説なども敢えて少なくイメージに訴える展示手法で構成される。そして、これを補うものとして図書資料や収蔵展示を設けた経緯がある。情報は図書(その他の文化情報も)で利用者自らが調べる、収蔵展示実物をたくさん見てもらうという役割が重要であった。
 組織改正で5課から4課に。資料課(情報資料室、映像資料室、図書資料室)は、学芸第1課(映像・情報室)に。情報室の中に図書資料室は組み込まれる。
■1997年11月1日
 常設展示室の閉室時間を1時間短縮、午後8時半から午後7時半へと変更。なお、休館日は月一から週一に変更。
■2000年10月1日
 資料閲覧室にフィルム収蔵庫建設。閲覧スペースがなくなり、再開室の可能性もなくなる。閲覧は、事前申し込みが必要となり、その多くが研究者に限られている。

◎振り返って、図書資料及び図書室の位置付けはどう変化したのか、何を失ったのか、形に出来なかったのかをはっきりすべき。
○当時としては他館の三歩先へ行っていたが、ハードの未熟さがあった。
 また、ソフトの部分では、学芸員の認識、京都文化情報に関する情報の概念に対する考え方の未熟さ面での問題。
○基本構想の中では大きな存在だった「文化情報コーナー」が、いつの間にか言及されなくなってしまった。
 このことは、物を持たない文化博物館にとって、図書・情報利用を失っていくことを端的に表すことになった。
○図書資料の位置付けに対する認識が不足していた。

◎博物館のハードからフィールドへ 
 博物館はだれが、だれのために開いているのかと考えると、図書館と1対1の施設連携ではもはや無理。例えば、博物館で展示をするので、図書館には関係資料を出してもらうという程度では連携とはいえない。
 外部連携の本質はもっと別のところにあるように感じる。博物館という建物の中で活動するのではなく、地域レベルでの活動が必要。

◎博物館のソフトからミュージアム・マインドへ 
 ソフトの充実はイベントの充実ではなく、博物館を支える、楽しむというマインドの育成。 

◎それぞれの地域活動に向けた新しいミュージアム活動を模索するという面からの博物館と図書館の連携について
 ここ10年、博物館をコアとしたフィールドミュージアム活動に携わっていた。周辺の一般の方、商店の方、伝統工芸に関わっている方々と、博物館の建物という枠から、フィールドへと活動範囲を広げていった。
 現在開催中のまちかどミュージアムでは、個人や地域の資料や歴史情報などをお店やまちかどに展示させてもらっている。
 一方、まちなかの小中学校では、読み聞かせ、上手な図書利用方法などの活動が進んでおり、こうした活動に博物館も関係できるのではないか。

◎地域に開かれた大学施設としての大学博物館・図書館連携の今後の可能性
 非常勤時代から関わりのある京都外国語大学にはわれわれ博物館界でも評判の図書館がある。所蔵されている貴重書が展示品として扱われることもある。実際、外大自身もさまざまな図書の展示会など行ってきていた。
 右京区と区内の7大学(短大)の連携協定をきっかけとして、複数の大学の博物館や図書館を巻き込んでいけないか。例えば、ひとつのテーマを複数の施設で取り扱うなど。

◎質疑応答
Q1:現在図書の扱いは?
A1:司書が対応。申し込みがあれば閲覧も可能。新たな本も受入れているが、棚から溢れてきている。所蔵の一部を捨てるという案もある。個人的には、リニューアルを機に図書室を復活したかった。
Q2:ハードからフィールドへと推移する意味は?
A2:文化的、社会的、経済的効果を狙っている。
  各施設館の状況にもよるがまずは子供に。学校教育、生涯教育や障がい者への教育に絡むことで、社会問題としても扱うことができる。さらには生活における知識向上は、経済へと行き着く。
Q3:社会的、経済的効果に言及するのは?
A3:図書館・博物館の活動の可能性は広いと感じているから。ただし、館の人が地域社会のことを知らないとダメ。
  そのためのミュージアム・マインドは、この10年で学んだことでもある。
Q4:以前、列品解説を聴講し学芸員に興味を持った。研究は出来たか?
A4:正直、没頭するのは無理。専門領域の幅があり、ある種個人経営的なところがある。
  専門領域に幅があるのは仕方ないが、ミュージアム活動という点で幅広くないと困ることがある。メンバーが変わって若手が増えたことで、今後変わっていくと思う。
Q5:基本計画が京都府立総合資料館と同じだが、現実とのズレは?
A5:リーダーの存在が大きい。上がフラフラするとよくない。そして、やらないと動かないし変わらない。そのためにも、一人一人の意識が大事。
  また、行政システムの限界を感じている。行政主導でやらない方がいい気がする。
  ただ、管轄もあるのでそのあたりは難しいところでもある。
Q6:京都府の名を冠しているが、サービス対象は京都府全体?周辺地域重視?
A6:地域の概念にもよるが、切り口を上手く調整すれば対象の広さには対応できる。
  経験則からいうと対応するのは大変だが、見えてくるものは確実にある。
  そしてこれは、歯車を担う学芸員が率先しないといけない。エンジンを持った歯車になれるぐらいに。
  まずは良い歯車になるためにマインド、地域との関わりが重要。施策の勉強も必要。
Q7:映画「パリ・ルーブル美術館の秘密」を見て思い出したが、資金があるだけではなく、理念がないとダメだと思う。収蔵物を持たないという理念も分かるが、理念の現実化の方法は?
A7:自分の立ち位置、博物館との距離を客観的に見れるか。これらを如何に積み重ねていくかが大事。博物館は一度作ったら壊してはいけない。これは図書館も同じ。
  理念は目標。宙に浮いたものではないので現実化しないと絵に書いたモチ。理念を自分の中で落とし込む必要あり。
Q8:情報発信方法について。
A8:一極集中が良いのか、分散が良いのかという議論がある(京都市は分散しネットワークでつなげる考え)。
  府と市の考えで違うかもしれないが、集中は良くないと思う。PC性能向上のおかげもあり、分散で良いと思う。




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