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学習会記録(第153回)

日時:2008年2月21日(木)
出席者:11名
内容:「明治初期の京都と障害児教育のはじまり」
発表者:竹村 佳子(京都市学校歴史博物館)

明治初期の京都における障害児教育について発表があった

1.明治初期の京都の情勢
維新で天皇が東京に移り京都は荒廃していた。しかし京都の住人の自治精神、文化水準と教育熱の高さから住民自身が協力して番組小学校を次々と誕生させていった。また、教育事業は京都府の都市再生事業としての最初の事業となった。

2.なぜ早くに京都で障害児教育が始まったのか
明治2年の番組小学校の開設は地域の住民が一体となって出来たもので、まず教育をという考えが強かった。幼稚園や中学校なども日本で最初に京都で誕生している。もちろん障害児教育についても関心が高かったようだ。上京区第19区小学校(元待賢小)の教師で古河太四郎という人がいた。彼はもともと白景堂という寺子屋を運営していた塾主の四男で、明治2年に番組小学校の先生になったが、ちょっとした罪を犯して2年ほど牢に入っている時に障害児教育を思い立った。このとき、19区の区長、熊谷伝兵衛の隣家に、聾の子どもがいて熊谷はこの子に教育を受けさせたいと思っていた。そこで、古河は熊谷と協力してこの子供たちの教育を明治6年ごろから始めた。

3.「京都盲唖院」について
その後古河は明治8年に待賢小学校の敷地内に「いん唖教場」を設立した。そこの聴覚障害児教育の取組が文部省でも認められた。
明治11年、晴れて障害児のための学校である盲唖院が設立されることとなり、開校式には何千人という人が観覧にきた。聾の児童が口で受け答えしたり、盲の児童が文字を書いたりするなどの公開授業をしていた。五十音図や手算法図、盲唖教授課業表(カリキュラム)は寺や学校の人にも配っている。通学は人力車で送迎され、生徒からは費用を徴収せず、教場には番組ごとに毎月1円を納めてもらっていた。明治22年に京都市が誕生すると、京都市に移管され「京都市立盲唖院」となった。寮もでき、郡部の学生も学べるようになった。

4.盲唖院の教育
・半顆(はんだま)そろばん
珠の3分の1を取って、底をあげ、珠が回らないように工夫したそろばん。
・凸形京街図
突起があって触ってわかる地図。番組小学校や京都府の施設の位置も示されている。
・掛図
発声練習のため口の形と手話を絵にしたものなど。
・遊歩場嬉戯図
方向感覚渦線場=円を描く歩行で、盲生に方向感覚をみがかせる
打毬貫輪器=聾生に意識を集中させて、輪の中に玉を投げさせる。
単語図合せ=単語の絵の描いてある板にボールを当てると上からその現物が降りてくる。

・職業教育
こより細工や鍼灸、聴覚障害の学生に絵画なども教えていた。こより細工、絵画は展覧会で賞をもらうなど評価が高かった。

5.京都市学校歴史博物館で展示を企画した経過
盲学校の資料室に数多くの資料が残っていることを知り、これを見てもらうことで、京都の1校の番組小学校から日本初の障害児教育が実践されたことを、もっと多くの人々に知ってほしいと思った。明治からの教育の歴史は30年前に資料館が展覧会と、盲学校聾学校の共同で年史を発行している。京都の学校史という位置づけで、盲聾両方の学校の資料を展示したことは無いので意義があった。

6.学校歴史博物館での初めての試み
・視覚障害の来館者への対応
期間中の4日間、現物を触ってもらえるコーナーを設けた。展示品一覧などを点字版と拡大文字板も作ってもらい、展示箇所が判るようにじゅうたんを敷いた。ただ、保存への配慮から展示物や部屋の照明が明るくできず大変困った。

Q&A
Q:障害者への対応について具体的には
A:当館の展示案内ボランティアの人に京都ライトハウスで手引きの研修を受けてもらった。

Q:初期の頃、先生の教授法は学ぶのはどうしていたのか?
A:工夫に工夫を重ねて独自に開発していた。東京に同じような施設ができてからは共同で開発するようになった。そこで学んだり、研修した人が地方で先生となって教えていった。

Q:明治2年に意見書を出した遠山憲美と古河との関係は
A:遠山は四国の藩士で京都にいるときに意見書を出す。最初は古河とはまったく関係がなかったが、このことがきっかけとなり古河と協力する形で盲唖院の設置を進めていった。その後は消息不明となり、詳しくはわからない。

Q:口話のみで手話が禁じられていた時代があったようだが、いつ頃なのか?
A:主に戦前に学んだ人。戦後もしばらくは口話が主体だった。この時代の人は手話のできる人も少なく、それも手話には方言のようなものがあり、通じないこともある。

Q:明治22年に京都市に移管された後、昭和6年に京都府に移管となるが、これはどういうことか?
A:どちらも制度的なもので、中身はあまり変わっていない。
京都市に移管になった頃から郡部の学生も受入れている。市立となっても地元からの寄付金があった。




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