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学習会記録(第143回)

日時:2007年2月15日(木)
出席者:7名
内容:「江戸時代庶民の数学3〜和算の成熟〜」
発表者:藤原 直幸(京都府立総合資料館)

前回までの「江戸時代庶民の数学」の流れに続き、江戸末期の和算について資料館所蔵の資料を中心に紹介した。

「江戸時代庶民の数学3〜和算の成熟〜」
○前回までのおさらい
〜江戸中期:和算の発展、関孝和を祖とする関流、その他の流派の派生

○江戸末期(1800年代)の算学者と和算書(*特に注がない場合は資料館所蔵資料は初版)
:その1
〔日下誠の門弟〕
・長谷川寛(1782−1838)弟子の育成が得意・門弟の名を借りて優れた算書を多く編集した。
『算法新書』(長谷川寛閲、千葉胤秀編 初版天保元(1830)年刊)幅広い分野の算術をわかりやすく解説し、何回も再版する人気を博した。
『算法側円詳解』(村田恒光編 初版天保5年(1834)正月刊)出版事項に長谷川寛の名はないが、寛の書簡から真の著者であると推定される。
       内容は円の測量に関する問題集で、それまでに類書がないもの。
『算法点竄手引草 初編』(長谷川寛閲、山本賀前編、初版天保4(1833)年刊 )『大全塵劫記』に加筆したもの。
『算法点竄手引草 二編』(秋田義一閲、大村一秀編、初版天保12(1825)年刊)長谷川寛の名は出ていないが、稿本には寛の遺稿であることが示されている。
『算法変形指南』(長谷川寛閲、平内廷臣編 初版文政3(1820)年刻成)変形法という方法での図形問題集(資料館所蔵は後刷り)
『算法極形指南』(秋田義一編 天保6(1835)年序)
・内田五観(1805−1882)蘭学を高野長英に学び、家塾には瑪得瑪第加塾(まてまちか:mathematics)と名づける。明治以降には天文局で太陽暦の採用にも携わった。
『古今算鑑』(初版天保3年(1832)刊、内田五観編、堀陳斯校訂)門下生による神社への奉掲算題を集めたもの。

〔藤田貞資の門弟〕
・堀池敬久(1773−1845)、久道(1831−?)親子
『掲び(木+眉)算法』(掘池久道編、初版天保9(1838)年)奉掲算題および図形問題の問題と解説。表紙裏に「京都書肆水玉堂梓」とあり。
『要妙算法』(堀池敬久閲、堀池久道編述 初版天保2(1831)年刊)おもに点竄術の解義。
・石黒信由(1760−1836)測遠術、天文暦学も学び、加賀藩の検地・測量・開墾に従事した。
『算学鉤致』(初版文政2年(1819)刊)既刊書から採った諸問題および奉掲算題を編集したもの。表紙裏には「平安書肆水玉堂発行」とある。

〔関流(その他)〕
・坂部広胖(1759−1824)元は火消し与力。日下誠と同門。
『算法点竄指南録』(坂部広胖著、馬場正督訂 初版文化12(1815)年序)点竄術を中心とした数学全般に関する初学者に向けての教科書。
〔麻田流〕
・武田真元(1789−1846)村井宗矩に学び、師の没後坂正永の遺書と最上流の書をもらい研究した。
『階梯算法』(武田真元編、奥田知員校 初版文政3(1820)年刊)上巻は簡単なものから始まり下巻は高度な問題までを集めている。遊戯的要素のある問題も紹介。
『算法便覧』(武田真元著述、高貞学訂 初版文政9(1826)年刊)日常に使われる簡単な算術から高度な図形問題までを論じている。
『続神壁算法起源』(武田真元撰、広江永貞編 初版天保4(1833)年序)藤田嘉言の「続神壁算法」の解法を記したもの。出版は京都の水玉堂。
『摘要算法』(武田真元閲、岡田忠貴撰 弘化2(1845)年序)索隠天元術(十露盤で天元術(連立方程式)を解く新法)が紹介されている。

〔その他〕
・榎浄門(生没年不明)東寺の雑掌(僧侶)
『照闇算法』(榎浄門編、榎浄壽訂 初版天保12(1841)年梓)武田真元の『算法便覧』の誤りを指摘。

:その2(その1の学者の弟子たち)
〔長谷川寛門下〕
・平内廷臣(生没年不明)幕府匠工棟梁の家系で、規矩術(コンパスと定規を使う算術)が得意。
『算法直術正解』(平内廷臣編 天保11(1840)年刻)それまで代数的に取り扱われていた図形問題を、初めて幾何学的に解いた画期的な書。
・村田恒光(?−1870)津藩の家臣。
『算法地方指南』(長谷川寛閲、村田恒光編 天保6(1835)年官許、同7(1836)年発行)農業から治水までを扱う地方役人のための計算術をまとめた書。明治に入ってからの後刷りあり。
『算法楕円解』(村田恒光閲、豊田勝義撰 天保13(1842)年序)楕円に関する問題(資料館所蔵は初版かどうか不明)
・長谷川弘(1810−1887)長谷川寛の養子で長谷川派の統率者。門弟の名で多くの啓蒙書を刊行。
『算法助術』(長谷川弘閲、山本賀前編 天保12(1841)年刻成)基本的な幾何学の公式集。図形目録を収録。
『算法求積通考』(長谷川弘閲、内田久命編、天保15(1844)年刻成)円理豁術(球体の立体積を求める術)を組織的に記述したもの。
『算法通書』(長谷川弘閲、古谷道生編 嘉永7(1854)年刻成)初学者向け内容からから高度な問題までを網羅した書。(資料館所蔵は後刷りか?)

〔内田五観門下〕
・剣持章行(1790−1871)各地をまわって教授した遍歴和算家。
『算法円理冰釈』(岩井重遠閲 初版天保8(1837)年序)下巻の終りに「剣持章行撰」とあるため実際の著者と考えられる。内容は円理豁術の説明。
『探頤算法』(剣持章行著 野村貞処訂 天保11(1840)年序跋)表紙裏には「瑪得瑪第加塾藏板」とあり、序文の内容からも内田五観の関与が大きかったと思われる。

〔関流(その他)〕
・小林忠良(1797−1871)関輝蕚(てるはな)の孫弟子。
『算法瑚l』(竹内武信閲 小林忠良著 上村重遠訂 天保7年(1836)序跋)難問が多く、誤りもないため学者間での評判も高かった。
・岩井重遠(1804−1878)自費で私立学校(岩井学校)を建てる。
『算法雑爼』(白石長忠閲、岩井重遠編、市川行英訂 文政13(1830)年刊)著者らの算題を収録。

〔武田真元門下〕
・福田復(1806−1858)大阪生まれで土御門家に所属し、関西では有名人で門弟も多かった
『算法雑解』(福田復閲 天保14(1843)年序)門下生の算題を集めたもの。

○明治以後の和算
明治になってもしばらくは従来どおりの和算が教授されていたが、明治5年の学制で洋算を教えることが明示された。しばらくは和洋の算術が共存していたが、次第に和算は衰退していった。
『点竄問題集』明治9年発行。洋算の教科書。訳語の統一などができず、翻訳できない箇所は「以下総て原語を持って書く」とされている。内容は中学生程度のもので問題と解のみが載っている。

○まとめ
江戸時代終わり近くになると学問上の新しい発見は少なく、難題を解く方向に発展した。また教授を主に行う和算家も多く出現した。和算書も高度なものが刊行されるようになった。明治以降、和算は衰退の道をたどった。


Q&A
Q:紹介された和算書は往来物とは違うものか?
A:また別のもの。前々回の「塵劫記」は往来物だったが、今回紹介した江戸末期の資料は専門書に近く、文体も漢文調のものが多い。

Q:資料館所蔵の和算書はどのようにして収集されたものか?
A:明治41年に購入したものがほとんど。古本屋でまとまった形で購入したかと考えられる。

Q:人物の名前はどのようにして調べたのか。
A:『和算用語集』(研成社)『和算史年表』(東洋書店)などの文献に当たった。



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