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第127回学習会 レファレンス事例〔回答編〕

Q1.「ケサランパサラン」とは何か?またその写真が見たい
〔国会関西館からの報告〕
■・国会図書館雑誌記事索引で2件ヒット→関西館に所蔵している科学朝日を見に行く。
 ケサランパサランのナゾ(茶の間のミクログラフィアー25) 科学朝日 39(1) [1979.01]
 "正体はアザミ科の植物の冠毛" "1977年の新聞やテレビの話題" (写真あり)
 ・『妖怪辞典』(毎日新聞社)"主に東北地方で見られるした白い不思議な毛玉"
"山形県ではテンサラバサラ""持っていると幸せが訪れる"
□Googleではホームページが多数ヒット
 ・「ケサランパサラン」化粧品ブランドのホームページ
  (http://www.kesalanpatharan.co.jp)
 "ケサランパサランの由来:植物の根から発生する胞子でタンポポの綿毛のような生物"
 ・「けさらんぱさらん」(http://www.kesaranpasaran.com/
  個人ページだが詳細な情報と多数写真あり。
〔その他の報告〕
・『ケサランパサラン日記』草風社1980.6 ケサランパサランの観察記録[府立図書館蔵]
・『大宅壮一文庫雑誌記事記事索引総目録 件名編5』p319に項目あり
・「けさらんぱさらんのふる日」(『メルヘンオムニバス』パロル舎2002.5に収録)
 児童書。主人公がインターネットでケサランパサランを調べる[京都市立図書館蔵]
・アエラ2005年4/25号に「都市伝説探偵団96 ケサランパサランの謎」あり
・「チャレンジ4年生わくわく発見BOOK」2005年3月号 写真と解説[参加者の子どもが所持]

Q2.吉田松陰の有名な句,「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」というのがあるがいつ,どのような状況で読まれたものか。
〔資料館からの報告〕
■伝記類をチェック→「歴史の群像」8巻p319上記の句と簡単な状況説明の記述
"嘉永七年(1854)ペリー艦隊に密航を企てた廉で逮捕され江戸に送られる折の句"
→吉田松陰の著作全集は資料館に未所蔵→出典までは確認できず。
(追記:『吉田松陰全集』岩波書店1936 第1巻年譜から嘉永7年の著作として「幽囚録」がわかり、第2巻で確認 [府立図書館蔵])
□ Google検索で「Web版正論」(http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2004/0403/opi2.html)ほか多数の結果がヒット
→海外渡航が失敗して捕まり下田から伝馬町へ送くられてくる途中、高輪泉岳寺近くで赤穂浪士の霊に手向けた歌だとわかる
〔その他の報告〕
・『日本名言名句の辞典』(小学館 1988) には出典も記述。
・『ペリー来航歴史を動かした男たち』(小学館 2003)に状況等記述。

Q3.京都の耳塚に歌舞伎役者の名が刻まれているらしいが、なぜなのか。
〔関西館からの報告〕
■「耳塚」でNDL-OPACを検索→関西館所蔵は4件ヒット
→『耳塚』(総和社 1994.8) "豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき倒した敵の数を報告するのに耳、鼻をそいだ""その耳、鼻を埋めて供養したのが耳塚である""1597(慶長2)年に建立"
 "もともとは木の柵で囲まれていたが、1915(大正4)年、伏見の勇山という人物が発起 人となって歌舞伎役者や義太夫などの寄付を集めて石柵ができた"との記述がある。
□Google検索→いくつか記述、写真がみつかる
〔その他の報告〕
・『京の石碑ものがたり』(京都新聞社1997.7)「耳塚修営供養碑」に"石垣は大正四年五月建立"ほか詳細詳細記述あり [府立図書館、資料館蔵]

Q4.藤原定家の「花鳥十二月和歌」を見たい。
〔府立図書館からの報告〕
■国歌大観、名歌辞典、定家研究書などを見るも見当たらず
→『訳注藤原定家全歌集』(河出書房新社1986.8)
 年譜を通覧すると「詠花鳥和歌」の記述(歌番号付記)あり
→歌番号から探し、上巻p299〜303 拾遺愚草「詠花鳥和歌各十二首」あり
□Google キーワード「花鳥 十二月 藤原定家」で検索
→彦根城博物館だより
 (http://longlife.city.hikone.shiga.jp/museum/letter/60.html#2)
 記事「テーマ展「井伊家伝来の茶道具-薄茶器-」より 直弼好みの「月次茶器」」
 "『拾遺愚草』に収められた「詠花鳥倭歌」二十四首は、江戸時代に「月次花鳥和歌」として多くの人々に書写された"

Q5.「春、百花あり。秋、月あり。夏、涼風あり。冬、雪あり。もし閑事の心頭に挂(かか)ることなくんずば、すなわちこれ人間の好時節。」と言う文句の意味を知りたい。
〔資料館からの報告〕
■漢詩の名言辞典をいくつか当たる
→『漢詩漢文辞典』に日本語訳は多少違うが同じ意味の漢文がある。
 出典は『無門関』。
□Google キーワード「閑事 心頭」で検索→同句を含む漢詩がヒットし、禅宗に関係あることがわかる。
→検索語に「禅宗」を追加すると、『無門関』が出典である事がわかった。
 (http://www.jyofukuji.com/10zengo/2000/03zengo.htm) 〔その他の報告〕
・Google検索で禅、茶道関係というあたりをつける
 →『禅語の味わい方』(淡交社 1985)p174に詳しい解説あり。[京都市立図書館蔵]
 *Q.5はインターネット検索で手がかりを得ないと探索が困難

Q6.宮沢賢治が京都で作った短歌は?
〔府立図書館からの報告〕
■『宮澤賢治語彙辞典』(東京書籍1989.10) 賢治旅行行動図(p881〜882)で1916年3月の修学旅行時に京都に来たことを確認。
→歌番号から『校本宮澤賢治全集』第1巻に該当の短歌を確認。
〔その他の報告〕
・Googleで「宮沢賢治 年表」を検索→複数ホームページから大正5、10年に関西方面に来ていることを確認
 →『宮沢賢治全集』2巻で大正5頃の作品を確認 p82に紫宸殿と山科を詠んだ歌あり
  大正10頃の作品を収録した6巻では歌はなし。
・『京都府関係雑誌論文目録』賢治が紹介された記事あり[総合資料館、府立図書館蔵]
 →掲載紙「京都」昭和44年8月号 "26歳(大正10年)の時父親と比叡山へ行き和歌12首を詠む〜"
 →『宮沢賢治全集』第6巻 比叡山で詠んだ短歌を見つけたが日付は大正14年 同全集の年譜を見ると、大正14年には比叡山に入っておらず大正10年に比叡山などに旅行とあるので短歌の日付は誤植と判断
・花巻市ホームページで「宮沢賢治の年譜」が見れる
 (http://www.city.hanamaki.iwate.jp/main/kenji/kenjifrm.htm
・「宮沢賢治の童話と詩 森羅情報サービス」
 (http://www.kenji.ne.jp/why/index2.html

Q7.「杉原もち」の作り方を知りたい。
■料理関係、広辞苑や広文庫を見てみても記述無し。
→『故事類苑』飲食部622pに簡単な作り方等の記述有り。
「杉原もちは、めぐりともいう杉原をこまかにむしり、山のいもの葉をゆでて、すぢくきをとり、扱餅米六、うる四分6こをこね、ゆにして三色一度によくつきあは芦侯」
 "宮中で6月土用のときに食べられていたもの"
□Google 「杉原餅」で検索 
→「日本国語大辞典第二版オフィシャルサイト」
(kkoku.net/tomonokai/toukou_card.html?snum=3227)
 他の事項の解説の中に杉原餅の記述あり
“江戸時代の随筆『嬉遊笑覧』(1830)の巻10上(飲食)の「杉原もち」の下りでも〜”
『嬉遊笑覧』が『日本随筆大成』第2期別巻下1929.2(p442)に集録されていることも同ページで確認。 (京都府立図書館蔵)
〔その他の報告〕
・『大言海』に「杉原餅」の項あり
・インターネット検索で「杉原紙という紙の一種がまざったもち」江戸時代の『料理物語』という書物に記述があるという情報を得る
 →『翻刻江戸時代料理本集成』(臨川書店1978)に収録 [京都府立図書館所蔵]
・上記の日本国語大辞典オフィシャルサイトで情報を得たのちに『日本国語大辞典』第6巻p371〜372で「すぎはらもち」の項を確認。
・『和菓子おもしろ百珍』(淡交社 2001)に「和紙…杉原餅」の項のもと詳細な解説あり。
 "杉原紙とは和紙の一種""播磨国揖東郡杉原村で作り出されており…"
 "白く清らかな紙を体内にとりいれることで心身ともに浄化したいという思いがあった"との考察も。



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