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学習会記録(第123回)

日時:2004年12月16日(木)
出席者:14名
内容:「江戸時代、庶民の数学 〜総合資料館の蔵書から〜」
発表者:藤原 直幸(京都府立総合資料館)

江戸時代の和算に関する資料(特に『塵劫記』について)を、京都府立総合資料館所蔵本を中心として紹介、解説する。

<和算とは>
 江戸時代に発達を遂げた日本独自の数学。西洋数学と区別して呼ばれる。
<和算の歴史>
 飛鳥時代:「大学」での教育、中国や朝鮮から数学書を輸入、「算木」「九九」の伝来
 平安時代:数学は衰え、雑学として位置づけられる
 室町時代:中国との貿易が始まり、「そろばん」「八算(割算の九九)」が伝来
 江戸時代:京都を中心として「そろばん塾」の興隆

<吉田光由(1598〜1672)について>
・毛利重能(日本最古の和算書『割算書』の作者)について学ぶ。
・京都の土倉業(金融業)、角倉家の一族。漢書などに親しむ環境であった。
・明の数学書『算法統宗』を学ぶ。
・その知識を基に江戸時代に最もよく用いられた数学書、『塵劫記』を著す。

<塵劫記の発刊>
・寛永4年(1627)に刊行。全4巻26条。
・序文は嵯峨天竜寺の僧、玄光。
・書名は「塵劫来事糸毫も隔てず」(長い時間を経ても変わらない真理の意)による。

<塵劫記の普及>
・内容のわかりやすさから広く普及する。
・海賊版の横行。(明治期までに流通した異版塵劫記は400種以上)
・寛永8、11(1635,1638)年に改訂。寛永18(1645)年に内容を新たにした『新編塵劫記』発刊。
<塵劫記(寛永4年発行)の内容>
 1巻:数の呼び方・定義、九九、割算、米の売り買い〔寺子屋レベル〕
 2巻:銭の売り買い、両替、運賃計算〔商人レベル〕
 3巻:検地測量、木材加工〔名主レベル〕
 4巻:川普請、開平(平方根)、開立(立方根)〔研究者レベル〕
・文だけでなく図も用いる。
・塵劫記で初めて九九が「一一の一」から始まる。
 
<塵劫記の変遷>
 寛永8年版:遊戯的な問題(ねずみ算・継子立て)が追加される。(一般に知られている塵劫記の体裁に)
 寛永11年版:書き方がくだけた口調に。
 寛永18年版:「遺題」(問題のみを提示し、解はなし)の追加。
        *遺題の継承が和算の発達を促す

<総合資料館所蔵の塵劫記について>
・資料館では貴重書の中に“塵劫記”2冊所蔵(内1冊は光由の諸版を編集したもの)
・その他に6冊所蔵(内5冊は海賊版) 基本となる項目は吉田光由の塵劫記とほぼ同じ。
『萬寶塵劫記大成』・・内題『新編塵劫記大成』。刊年不明、1冊、19条。内容は寛永11年版『塵後記』第1巻と同じ
『広益塵劫記改成』・・刊年不明、3巻1冊、68条。内容は光由版塵劫記の諸版を編集した物。
『新編塵劫記大成』・・安永年間版、1冊、32条。内容は塵劫記2巻まで。売買の計算を重視(商家向け?)。
『新増補塵劫記大全』・・天明3年刻、1冊、31条。『広益塵劫記改成』の流用
『塵劫記』・・慶応2年刊、1冊、20条。内容は寛永11年版の1巻の部分。もともとの塵劫記を編集発行。
『大全塵劫記』・・天保3年刊、1冊、山本賀全(筑後の数学者、長谷川寛の門人)編。内容は塵劫記とは別物。三角関数、天算術など難易度高。

<算木>
・長さ3cmほどの赤と黒の棒。(昔の中国では14cmほどの棒だった)
・室町時代以降簡単な計算はそろばん、難解な数学は算木を用いるようになる。(明治期まで算木は使われていた。)
・算盤(罫線を引いた紙)の上で動かし、計算を行なう。
・総合資料館の貴重資料にもある。(材質は白木と黒木)
 〔*発表者の指導のもと、算木の模型を用いた計算の実演を行なった〕

<八算>
・2〜9で割る場合の「九九」。独特の用語を使う(割声 ex.ニ一点作五=にいちてんさくご=1を2で割ったときはその桁に5を置く)。

*まとめ*
『塵劫記』は江戸時代のベストセラーであり、幅広い階級の人々に影響を与えた。この書の普及によって日本人の数的能力は向上し、後の日本の発展の基礎が形成された。

*Q&A*
Q.『塵劫記』の他に有名な数学書はあるか?
A.広く使われた物では『算用記』というものが有名。これも海賊本が多数ある。

Q.江戸時代以前の和算ついては文書では残っていないのか?田畑の測量や年貢計算などはどのようにしていたのか?
A.江戸以前の古いものについては残っていると聞いた事はない。口伝であったか?
〔補足〕『割算書』の発行以前は中国からの輸入書に頼っていたようだ。また、計算を専門にする職業は鎌倉時代から存在していた。

Q.そろばんの計算法は、今のそろばん塾での方法とは違うのか?
A.昔は八算を応用していたが、今のやり方は違うようだ。

Q.『塵劫記』には過程がよくわからない計算方法も載っているが、それは丸覚えするのだろうか?
A.そのようだ。和算は普遍的な理論や方式にはあまり関心をもたず、ひとつひとつの問題に対処して解くことにこだわった。それが明治以後、西洋数学に負けた理由であろう。

Q.資料館所蔵本は書誌学的にはどのようなものか?蔵書印などはあったか?
A.ほとんどの資料は明治41年に購入した資料である。それ以前の蔵書印は見当たらないので詳しい来歴はわからない。

Q.出版元はどこが多い?全国で刷られていたのだろうか。
A.難解なものは京や大坂が多い。今回紹介したものでは津で刷られたものもある。



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